暇半桃花鳥’S LOKA!

露悪趣味で見栄っ張り

朝日新聞の「フォーラム 「忖度」」に雑文を送ったら、公開された。

朝日新聞のフォーラム忖度に、雑文を送った。どうやら、差別表現等の問題はないと判断され、掲載された。

といっても、「難しい問題だ」とかいう「へ?」っていう意見も通っちゃうくらいだから、まあ、なんともいえないんだけどね。

 

個人的には、「忖度」について、ポイントを押さえて、そこそこ上手くまとめることができた印象(自画自賛はじぶんの能力を毀つんだよなあ。あーあ、やっちゃった。)。

www.asahi.com

元のページは、いずれなくなるだろうから。ここに、再掲。

 

截然と公私を画することはできないかもしれないが、公的なことがらに属すのであれば、忖度は絶対にあってはならない。というのは、「公」は透明な情報公開を成立の条件とするためだ。これは、情報・人を問はず同様で、文書ならば全て公開し、公人ならばかれの一挙手一投足を公開する。公人には、それくらいの枷があって然るべきだ。
上流階級バイアスという心理学的事実がある。「社会的地位が高い」と自己規定するひとほど非道徳的である、という事実。この事実を鑑みるに、公人にはいくら枷があっても足りないと思うのだ。
変化する社会に法律は対処できていない。民主主義のために、公的なことがらはどこまでも透明にしなければならない。(文:暇半桃花鳥)

 

 

公/私でわける、って論点は、当然だと思ったんだけど、どうも、ほかにはなさそう(全部読んでないからわかんないけど。)。

たぶん、「李下に冠を正さず」とか「瓜田に履を納れず」とかまあ、つまり「瓜田李下」みたいな、権力者(君子)にもともめられる態度みたいな話を知らない人が多いちゃうんかな。まあ、わたしも、ぜんぜん故事成語とか、しらんけど。

あっ、そういや、なんか『故事成語でわかる経済学のキーワード 』みたいな本が中公新書で昔あったなあ。買ってみようかしら。閑話休題

この公/私の区別をしないで、

「忖度はあってあたりまえです」とか

「自然なことで、それなしには、日常生活ができません」とか

いうのは、ナンセンスだとおもった。