暇半桃花鳥’S LOKA!

露悪趣味で見栄っ張り

【工事中、竣工未定。】廣重徹「科学における近代と現代」(『近代科学再考』ちくま学芸文庫)

Ⅰ「科学の歴史と現代」(1973)

いま「AIが人間の未来を変える」という考えに対して、あれやこれやのギロンがなされている……一部の間で。その中には、「人類の生活」を奪うといった悲観的なものもある。こういった論議というのは、今に始まったことでなく、繰り返されてきた話題なのだろうとおもう。廣重の「科学の歴史と現代」は、暇半(筆者)が見るところ、バランスよく、科学の歴史に目を配りつつ、科学と社会との協同・軋轢を論じている。それは、現代の問題に対する処方箋になるような類のものではないかもしれないが、しかし、科学と社会を考えるうえで踏まえておくべき論点や前提を与えてくれるとおもう。廣重は、軍事、科学、産業、経済発展といったいままさにわたし(たち)が抱える問題と同様の問題を、剔抉しようとしている。

以下、参考までに、要約してみる。が、わたしの読解スキルが酸鼻を極めるゆえに、とんでもない曲解をしているであろう。興味を持たれたら、ぜひ原本を読んでその真価を確認してほしい。買って損する本じゃないとおもう。

ちなみに、最後は、おそらく当時の流行であったのだろう「要素論批判」がなされています。現在のAIは、ニューラルネットワークだか、コネクショニズムだかの技術(?)によって、これまでの構文論的(?でしたっけ)な考えから蝉脱しているようにもおもえるのですが、どうなんでしょうかね。よくわかんないや、むずかしくて。

 

 


問題の提起……

 

反科学主義の広がり

日本では1970年代、反科学主義・反合理主義が知的ムードになりつつあった。近代西欧的でなく、伝統・土俗的精神風土に救いを求めた。これは、アメリカでも事情は同様であった。

反科学主義は歴史的な現象であり、1930年代の国粋主義が好個である。また、西欧でも、鞏固な科学蔑視の歴史があった。19世紀の産業革命によって、産業家、科学者・技術者という階層が生まれたが、かれらは元の上流階級から疎まれた。元の上流階級にとっては、古典的・人文的教養こそが尊敬に値するものであり、自然科学は野卑なものとして映った。この強烈な科学蔑視によって、工学教育が長らく大学の外に追いやられたのであった。1959年にC.P.スノーという作家が、文学と科学の架橋を唱えたときに、大きな反響があったことは、科学蔑視がそのときにもまだ、西洋エリートの常識であったことをあらわしている。

 

科学への期待と幻滅

1973年に広がろうとしていた反科学主義は、伝統的なそれとは異質であった。伝統と当時を分けるメルクマールは、1960年にだされた10年計画の科学技術振興ブームである。この10年で、理工系の学生・教授が増加。研究費も増額された。時を同じくして、欧米でも、科学技術振興は盛んであった。

このような科学に対する全幅の信頼は、「未来学」の流行を帰結した。「未来学」は、情報処理技術の進歩、システムズ・アナリティクス、時系列解析といった予測手法によって、たんなる想像や願望ではなく、科学として未来を予測することができると主張した。予測された未来は、「いわゆる情報革命によって、物の生産ではなく、知識の生産と流通、いいかえれば、絶えざる科学と技術の進歩が社会発展の基礎になる」(p.19)というものだった。清水幾太郎(1966)『現代思想』でも、コンピュータが人間の未来を左右するだろうと述べられていた。

しかし、上記の書籍は、1970年代にひとびとに共有されていた科学への幻滅とどうようのペシミズムを纏綿していた。科学は、軍事や産業によって発展し、人類の福祉以上に軍事や産業の利益に役立てられた。日本では、太平洋戦争によって、軍事科学に対する悲観的見方が広まっていたが、欧米各国では、次のような問題が降りかかるまで、「科学が国防に奉仕するのはあたりまえ」(p.20)とされてきた。「核兵器ヴェトナム戦争、生物・化学兵器」(p.20)という問題が、既存の正義のための軍事科学という科学観を根底からゆるがした。そして、科学技術の発展による生産力の向上が導く物質的豊かさによってひとびとは幸福になる、という経済発展の見立ても、「いわゆる人間疎外と環境汚染の急速な激化によってくずれ去った」。(p.20)

科学とはなにか

以上のような事情を鑑みれば、反科学主義には理解可能な点もあるが、しかし、だからといって反科学や非合理へと対極に振れることは、「科学に未来を任せてしまった未来学の流行と同じ軽薄さ」(p.21)という轍を踏む。「感性の解放とか土俗への復帰」(p.21)がもてはやされる昨今だが、「それが知的な努力」(p.21)の放擲であってはならない。なぜなら、科学が浸透した社会を生きる以上、知的な対処なくしては、「科学・技術の非人間的な跳梁」(p.21)を許すことになるからだ。科学を非人間的な者とするような議論、科学と人間の対立論には歴史があるが、これは不毛である。科学を生み出し、それを生産力の要素としたのは人間である以上、科学と人間の対立論では、人間の把捉として不完全であるからだ。科学技術文明が直面する問題を克服するには、「人間にとって科学とは何か、科学はなにゆえ現代社会の主要要素になりえたのか」を深く問わねばならない。

こんにちのわれわれが知る科学とは、「17世紀、近代市民社会の成立とほぼ時を同じくして西欧で生まれた」(p.21)。たんに自然現象を説明する試みなら、近代西欧に限らず、古代ギリシアや、中国、にもすぐれた自然観がある。「けれども、技術的合理性(そこにこんにちの諸問題の根がある)をそなえた自然科学は、近代市民社会とともに誕生したのである」(p.22)。とはいえ、揺籃期の近代自然科学と、こんにちの科学とでは質的な相違がある。つまり、質的な展開が近代科学の枠内にはあったのだ。

 

近代科学の形成……

科学と合理性は吻合するにようにつうじょう思念されているが、「科学は元来はたしてそんなに合理的なものだったのであろうか」(pp.22-23)。

 

地動説の根拠

近代科学の成立のもっとも重要な端緒は、だれもがコペルニクスによる地動説をあげる。そして、われわれは、地動説と対比して天動説を非科学的な、合理的根拠のないドグマだときめこんで、不思議に思わない。

では、地球が宇宙空間を運動していると考えるのがなぜ科学的で合理的なのかを問われたら、どう答えられるだろうか。われわれの直接的な経験が示すのは、太陽が東から西へ弧を描くことであって、「地面が東向きに動いていることではない」。夜空の星は、北極星のあるあたりを中心に、円形を描いて東から西へ回る。そして、季節によって星座は異なるが、このことから太陽と恒星の間に相対的な運動があることがわかる。しかしこれを、「わざわざ、地球が太陽の周りを年収運動しているからだと説明しなければならない理由は、どこにもないようにみえる」(p.24)。

運動の認識には、視認以外にも、振動や加速度を体感するという方法がある。しかし、そのような体感が、地球の運動によってもたらされたことはない。これに対し、完成の法則や運動の相対性を持ち出し、「加速度がない限り、運動と製紙は相対的な者でしかない」という反論があるかもしれない。しかし、では、なぜ慣性の法則を信じるのだろうか。この法則が主張するような、他から力を受けない孤立した物体など、誰も経験したことはないのである。どこまでも続く直線運動も同じである。となると、慣性の法則は超越的と言わざるを得ないのではないか。それは、超越的な原理であり、権威によってそう言われたという超越的な理由によって、信じられているのではないだろうか。

 

コペルニクスの非合理

コペルニクスは、400年以上も前に地動説を唱えてはいるが、こんにちのわれわれにとってさえ経験的根拠を上げるのが困難であるとすれば、彼の地動説は、薄氷の上に成り立っていたはずである。じっさい、彼の地動説には、神秘的・非合理的な根拠に満ちていた。彼の地動説は、プトレマイオスの非常に精巧で洗練された体系にたいして、それが「経験と合致しないというような理由では」ない、反論をしている。

プトレマイオスの天動説体系では、「運動の一様性という根本原理に反する仮説が導入される」とコペルニクスは主張した。運動の一様性は、アリストテレス自然学由来の原理であり、天体は円運動をするという原理だ。プトレマイオスの天動説体系では、惑星が一様な円運動とは懸絶がある。さらに、コペルニクスが太陽を中心にした理由は、「不動という状態は高貴かつ神聖であり、光り輝く太陽にふさわしい」というものだ。

このように極めて不合理な天動説批判をコペルニクスはしたのだが、プトレマイオスによる地動説批判は存外合理的なのだ。地動説では地球が自転することになるが、だとすると、地上の物体はふっとぶし、落とした石は西寄りに落下することになる。コペルニクスはこれに反論し、「地上の物体は地球と同じ本性をもつので、地球と一緒に動くのだという議論を持ち出している」(p.26)。また、プトレマイオス天動説では、物体の重さを宇宙の中心に向かう傾向として説明するが﹆コペルニクス地動説では、自然みずからより集まろうとする欲求が重さであると説明した。このように、コペルニクスの議論は神秘的で非合理的という形容詞が好適だ。

 

ニュートン力学

神にささえられた体系

神への道

全体像から部分的認識へ

デカルトの方法

要素論

部分と全体

操作可能性

制度となった科学……

啓蒙主義

神の手を離れた自然

力学の有効性

産業革命と科学の前線の拡大

科学者の誕生

科学の制度化

科学教育の発展

研究所の確立

単位と技術的合理性

ディシプリンの必要

科学の合理化

価値観からの独立

工業化と科学

むすび……

工業化社会の契機としての科学

要素論の限界

枠を踏み越えた科学