暇半桃花鳥’S LOKA!

露悪趣味で見栄っ張り

わたしだけがどうしようもない世界

今週のお題「自己紹介」

 

 

生きづらさを吐き出すブログを、最近見る。

 

よく目にするのが、環境に問題があったという話だ。(それと本人の脳の器質的な欠陥)

 

多くは親に問題があったり、

あとは、いじめを受けていたことがあったり、

そんなところだ。

 

 

わたしは、

生きづらさを漏らす彼らと同じような、

どうしようもないタイプの人間だと思ったのだが、ちがいそうだ。

彼らには、意外なことに(失礼)、恋人がいたり、なんやかんやで友達がいる。

こう考えると、

恋人はいたことないし、友人もいないわたしのほうが

よっぽどどうしようもない人間なんだろう。

ただ、どういうわけか、わたしはいじめられた記憶はないし、親はすごいまともだ。

 

わたしの両親は、

わたしを変に自慢することはないし、追い詰めることもしない。

 

両親は、わたしが自由にやって、それで幸せであることを心から願ってくれている。

わたしのことを、たぶん第一に考えて生きているようにおもう。思い上がりかな。

でも、きっとそうだ。

生き方を押し付けたりされたことはない。

 

でも、わたしは、

そんなふうに自由にふるまって生きていけるような、

それが許されるような能力のある人間じゃないし、

そうやって生きていきたいけど、こわいんだ。

 

やりたいように自由に生きない人生をわたしはきっと、絶対後悔することはわかっている。でも、自由に生きられない。

じぶんの衝動のままに踏み出さないことを、わたしは絶対後悔するけど、

踏み出せていない。

もう、じぶんの衝動もわからない。

 

後悔して死ぬのは嫌なのに、後悔する道を選び続けている。

 

 

環境に問題はない。

いじめはなかった。親はほぼ理想的といえるとおもう。

でもわたしはどうしようもない人間である。

わたしの周りに問題はない。

 

なら、この世界は、

わたしだけがどうしようもない世界なんだ。

わたし一人がどうしようもないんだろう。

 

これからも、どうしようもないじぶんに後悔だけをしていくんだろう。

そんな人生を生きたくないけど、後悔の日々のなかをずっと生がつづくのなんていやで、ここで生が終わってしまばいいと思うのに、生が終わるということが死ぬことだと気づいたとたんに、おそろしくて、どうしようもなくなる。

 

臍を噛みつづけることが人生なんだと、

そうおもうことができるのだろうか。

でもそんな風に開き直るのは、

後悔を肯定するような生き方は、選べない。

後悔を肯定したら、後悔を受け入れたことを、これまでにないくらいに後悔することになるからだ。

後悔を一度でも受け入れれば、後悔を受け入れたことを後悔して、また、それを受け入れて、後悔して。ずっと膨れ上がりつづける「ああしておけばよかった」、「ああすればよかった」という反実仮想をかかえていくんだ。

それか、後悔などしていないって、自分をごまかして、そうやって自己欺瞞的に生きて、最後の最後で死ぬほど後悔して、それで、結局死ぬんだ。

 

そんな、どうしようもないのが、わたしです。

 

以上で自己紹介を擱筆します。

 

どうしようもない。